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第284回・蟹目と呼ばれた英国のスポーツカー

車屋四六のGood Days&Good Cars

 1950年代、イギリスの自動車産業は元気一杯だった。第二次世界大戦=WWⅡが終わって再出発の老舗が元気を取り戻し、数多くのブランドが、七つの海を渡っていった。

 ロールスロイスと肩を並べるダイムラー、オースチンプリンセスなどの大型リムジンにはじまり大衆車まで、いまでは想像できないほどの多種多様な自動車がイギリスでは生産されていた。

 なかでも伝統のスポーツカーは、ほとんどライバル無しに大手を振って歩く独占的商売を続けていた。中でもMGが有名で、英ライトウエイトスポーツカーの先陣を切っていた。

 当時のイギリス製スポーツカーを、ライトウエイトから重量級まで並べてみよう。MG、トライアンフ、シンガー、モーガン、オースチンA40スポーツ&A90アトランティック、オースチンヒーレー、サンビームアルパイン、ジョエット、アラード、ジャガー、アストンマーチン等々、本当に沢山のスポーツカーが雁首を揃えていた。

 戦勝国のイギリスだが経済復興でドル稼ぎ優先。自動車産業は優遇を受け、アメリカ輸出のスポーツカーでは、ジャガーXK-120とMGの両巨頭を筆頭にトライアンフ、ヒーレーなどが人気者。

 そんな人気者のMGにミゼット、そしてヒーレーにはスプライトと呼ぶ、ひときわ小柄で手軽なロードスターがあった。今回は、そのオースチン・ヒーレー・スプライトに陽を当ててみよう。

 スプライトは、ユーモラスな顔から跳び出した目玉で、日本では“蟹目”の愛称が付いていた。日本人は目玉から蟹を連想したのだが、外国人は蛙を連想したようで“フロックアイ”がニックネームだった。

 目玉が飛び出たのは、デザイン上の技法ではなく、主戦場のアメリカの安全基準で、最低、地上からこの高さが必要で、ボディー内蔵では低すぎるからの苦肉の策だったのである。

 スプライトの誕生は58年。それから71年まで生産されたが、写真の初期モデルのMK-Ⅰは58年~61年まで製造。日本にも可成りなファンがいて、早稲田自動車部OB自動車評論家の草分け、故池田英三もひと頃ジムカーナやヒルクライムで活躍していた。

 スプライトは、ヒーレー100などのスポーツカー開発で、高い評価を持つドナルド・ヒーレーが、1Lのスポーツカーを企画し、オースチン社の支援を得て実現したものだった。

 で、エンジンがオースチンA35用の水冷直四OHVの採用は当然至極のことで、可愛い948ccは高められた圧縮比と二連装キャブレターの43hp/4000rpmは、オースチンA35より高出力だった。

 いずれにしても、43馬力ではと思うだろうが、僅か650kgという軽量車体で、歯切れ良くダッシュし、スポーツカーの気分を十分に楽しむことができた。ちなみに最高速度は136km/h。私が愛用のホンダS600は最高速度140km/hで、良きライバルだった。

 これまでに紹介したことがある、アメリカ製超小型スポーツカーのクロスレイ・ホットショットに似ている姿だが、当時常識的なシャシーを廃して、剛性が高い卵形モノコックボディーが、軽量を生み出していたのである。

 見るからに無駄を省いて生まれたようなスプライトは軽量で、イギリスでは60万円という低価格だった。が、安価も魅力だが、やはりスポーツカーらしい走りが魅力だったのである。

 スプライト、MGミゼットなど軽スポーツカーは、いまなら小型乗用車より、と云うより軽自動車より遅いが、ロードスターの醍醐味が味わえる、気分は本物のスポーツカーだった。



(写真1)オースチン・ヒーレー・スプライト:タイムトライアルに出てきたスプライト、剽軽ユーモラスな顔つきが良く判る。

(写真2)MGミゼット:ヒーレーの良きライバルだった。

(写真3)ヒーレーやミゼットに対抗する日本製はホンダS600。私もこれでヒルクライムやジムカーナを戦ったが軽快で楽しいライトウエイトスポーツカーだった。

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掲載日:2014/06/26

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話