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第290回・アストンマーチンの生い立ち

車屋四六のGood Days&Good Cars

 昭和20年代、隣家に住んでいたプロ野球選手は、電車やバスで球場に出かけていたが、近頃の選手はマイカー、特に有名高給取りは人もうらやむ高級車を走らせている。ベンツ、BMW、レンジローバー、ハマー、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ911やカイエン等々。

 93年頃、中日落合のアストンマーチンをTVで見た。一流選手の中でもマイペース、評判流行に煩わされず未だ日本では知られていなかった一流を選ぶ見識に感心したものである。

 私が中学の頃、いつかロールスロイスとフェラーリのオーナーにと思ったが、大学の頃それにアストンマーチンを加えた。が、稼ぎの悪さで、私の夢は実現せずに終わりそうだ。

 アストンに惚れ込んだのは昭和30年頃。JAAの江ノ島ラリーに米軍将校が乗ってきたのを見た時で、このラリーには森繁久弥がライレイ2.5で参加していた。

 問題の車ナンバーは3A48。で、下が二桁ということは相当位が高い将校のはず。私が親しくしたO.R.スチュアートは准将待遇の会計監査で3A84「米軍私用車を日本陸運局に登録時の名簿は偉い順だからマッカーサーの私用車は3A1だよ」と。

 写真のアストンは、50年から55年まで製造のDB2型。シリーズ名のDBとは、47年に左前のアストンマーチン社を買い取ったのがデビット・ブラウン社だから、DBなのである。

 名門スポーツカー会社らしくDB2の姿には貫禄があり、注目はストレートシックス2580ccがツインカム。それまで英国でのツインカムは、ベントレイの専売みたいなものだった。(英国ではDOHCをツインカム、V12をダブルシックスと呼ぶ)

 そのツインカムはB78xS90㎜、圧縮比6.5、SUキャブ二連装で105hp/5000rpmと当時では高い性能を誇った。またバンテージと呼ぶオプションモデルは、圧縮比を8.2に上げて125hp/5000rpm、写真のDB2にはそれが載っていた。ちなみにDB2のスリーサイズは、全長4035㎜、全幅1651㎜、全高1359㎜、WB2525㎜。車重1114kg。

 当時国策で輸出奨励策の英車では、二種類のエンジンを用意するものがあり、その目的は、ハイオクタンガソリンが入手可能な先進国、入手できない後進国向けで、残念ながら当時の日本は後者だが、米軍基地ではハイオクタンを売っていた。私も前述3A84を運転して、携行缶を持って代々木ワシントンハイツのGSに買いに行ったものである。たしか1ガロン(3.8L)15セント(54円)=14.2円/Lほどだったと記憶する。

 とにかくアストンマーチンは、英国の良き時代の職人芸で仕上げられた高級スポーツカーで、独特な容貌とともに革張りインテリア、入念仕上げのウッドトリム等々魅力一杯で、誰でも初対面で惚れ込んでしまいそうな雰囲気を持っていた。

 が、金満家御用達高級GTではあるが、本物高性能GTでもあり、各種レースに活躍して、59年にはルマン24時間レースで優勝して、DBに花を添えた。が、それ以降レース活動を止めてしまったのは、返すがえすも残念なことである。

 残念ながら私の若き日の夢はかなわなかったが、かなえた仲間も居る。第一回日本グランプリにフィアット・スパイダーで出場の宇田川武良がDB6を入手して、今でも大切に保管しているようだ。

 もう一人、遊び仲間だった鍋島俊隆がDBSを手にいれたが、暫く楽しんでから手放したようだ。写真は、70年頃のジュネーブショー会場で撮った、DB6とDBSである。

(写真1)アストンマーチンDBⅡ:ラリーのゴール江ノ島について畑の麦わらをパイロンに見立てて即席ジムカーナ中のDBⅡ。

(写真2)アストンマーチンDBⅡ:ラリー出発点の明治神宮外苑で。写真が古く3A48が読みづらいのは御容赦を。

(写真3)1970年のジュネーブショー:右がDB6、左がDBS。

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掲載日:2014/07/03

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話