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第312回・ボートテイルの話

車屋四六のGood Days&Good Cars

 昔の諺で美人薄命という。美人は長生きできないということだが、今回は長生きした話。車の世界で長命といえば、フォードT型、VWビートル、三菱初代デボネア、等々あるが、どれも美人とは云いがたく、シーラカンスと呼んだ方が良い。

 ミニは長命でも可愛いが美人ではない。で、美人薄命に正にうってつけはアルファロメオ・ジュリア・スパイダー(スパイダー=伊語でロードスター)。

 写真は、晴海の外車ショーだが、イタリアで67年に生まれたばかりで日本に来たのだから、かなりせっかちな美人である。美人もそのはず、デザインが円熟期のピニンファリナなのだから。

 発表後、ニックネームが一般公募されて、デュエットと命名。

 67年日本は、ようやく自動車生産量が世界二位になり「さあ稼ぐぞ」という頃。輸出専用埠頭も整備され、ヤル気満々だったが、まだ世界から警戒されることもなく、儲けることだけを念頭の呑気な時代だった。

 デュエット最大の特徴はボートテイル。90年のマイナーチェンジでコーダトロンカになったテイルが、誕生当初は空気抵抗減少目的で絞り込まれ、昔の船に似た姿からボートテイルと呼ばれた。WWⅡ以前にはコーチワークの高級車に良く見掛けた姿でもある。

 90年頃、テイルをスパッと切り落としても空力的損失がない、むしろ生じた空気の渦が後押しをするということでコーダトロンカが登場するのだが、それ以前は空力を考慮すれば、究極の流線型がテイルを絞り込んだボートテイルだったのである。

 ホイールベース2250㎜で全幅1630㎜に対して、全長が4250㎜と長い姿は、贅沢に空力を追求した結果で、ボートテイルも加味して、前後オーバーハングが長いからである。

 アルファロメオのエンジンは、世の中OHVかOHC全盛の頃から伝統的にDOHCで、ジュリア1300の心臓も直四DOHCで1290cc。高い圧縮比9とウエバーのツインキャブで87hp/6000rpm、14.0kg-m/3200rpmを絞り出していた。

 当時としては高回転高出力型で、5MTとのコンビで最高速度170粁、ゼロ400m加速で20秒を切るという俊足だった。

 が、コーダトロンカになった頃は排ガス対策の2L搭載で、キビキビした走りは失われ、ただオープンエアーモータリングが楽しいだけの車だった。が、初期のデュエットは、五速フルシンクロで少々長目のダイレクトシフトレバーを操っての走りが軽快だった。

 デュエットの愛称は“オッソ・ディ・セッピア”日本語で“イカの甲“その物ずばりだが、流線型の極地とも云えるスタイリングも、オプションのハードトップを付けた姿は頂けなかった。

 デュエットには、1300,1600,1750の三種があり、その1750を知人の英国人ブライアン・ロングが持っているが、いわく因縁がある車体である。

 カラーが珍しく天然色映画と呼んだ頃“赤い靴”という68年の英国映画があった。その主演女優モイラ・シアラーの愛車で(シャシーナンバー1470003)の1750は、彼の自慢である。

 近頃ではそこら中に氾濫して珍しくもない日本のミニスカート流行の始まりは、デュエット登場の67年頃で、男どもは目のやり場に困りながらも楽しんでいた。流行中のゴーゴーダンスでは、さらに目を輝かせ期待に胸をふくらませた。日本は高度成長期で楽しい時代だったが、美濃部東京都知事の都電廃止は失敗政策だったと近頃思っている。



(写真1)イタリアで生まれたばかりで晴海の輸入車ショーに登場の1300ロードスター。やたら格好良かった。

(写真2)アルファロメオ博物館所蔵のデュエット:ボートテイルと云われても見なければ想像がつかなかろう

(写真3)知人ブライアン・ロング自慢の1750デュエット:いずれロンドンに帰ったときに乗るのを楽しみにしているようだ。

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掲載日:2014/10/07

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話